2016年8月11日木曜日

消えない言葉

消えない言葉

 「いっぱい食べて〜」という声と共に、テーブルに料理が並ぶ。田村市を訪れた私たちに昼食をふるまってくれたのは、村越牧子さん(67)だ。福島県郡山市出身の村越さんは、タクシー運転手として働く傍ら、田村市都路町古道地区の自宅で民泊を営んでいる。

 
テーブルに並ぶ料理。手前に写る小皿に載るのは、村越さん自慢の「味噌巻」=福島県田村市都路町古道地区。2016年6月19日

  震災当時の3月11日、避難せずに寝ていた村越さんは、「みんな逃げたぞ」という夫の怒鳴り声で目を覚ましたという。12日の昼頃に着の身着のまま、郡山の実家に避難した。

9時間かけて実家に着くと、息子からすぐに放射線の検査を促された。村越さんは、自身に関する放射能汚染の脅威について知らなかった。福島原発爆発を含めたその怖さを聞き、避難先にいた甥の小さな三人の子供に、自分からなにか悪い影響があるのではないかと誤解するようになった。その結果、一時期は自分の事を「バイキンマン」だと考えるようになってしまったそうだ。私はそのことに強い衝撃を受けた。実際はそのような悪影響はないからだ。

避難して二週間経ったその時の心境を「泣くほど田村に帰りたかった」と語った。避難生活は終わらず、今度は妹の息子夫婦の家に二年間ほどお世話になった。お風呂も共同なので、気を遣ってしまう生活が続いたという。

  2014年4月1日に古道地区の帰宅制限が解除されると、真っ先に夫が帰っていった。よその家でご飯を食べさせてもらっているという状況が嫌だったのだ。時を置いて村越さんも戻ったが、生活はしばらく東電からの賠償金を少しずつ使うという状態だった。
 
昨年の六月から、民泊を始めた。その背景には、都路町の復興を応援する田村市復興応援隊の白戸優さん(25)の強い勧めがあった。「復興というよりは、どうしたら地域の人が楽しめるか」と考えた彼は、最初は乗り気でない村越さんを説得した。今では村越さんの方が民泊営業に「ハマって」いるという。お客さんと話すのが楽しいのだ。
 
社交ダンスも習い、民泊も順調で日々の楽しみを感じている村越さんだが、「孫は連れてこられないな」と悔しさを露わにした。放射線の影響は減ったものの、まだ抵抗があるそうだ。村越さんが自宅で、孫と笑顔で触れ合えるのは、果たして何年後になるだろうか。

そして、やはり気にかかったのは「バイキンマン」という言葉だ。5年経った今も、この言葉を使って当時を振り返る。震災は村越さんの心に消え難い爪痕を残している。(文・写真 中村風賀)

仲良く民泊開始当時を振り返る白戸さん(=写真左)と村越さん(=写真右)。=福島県田村市都路町古道地区。2016年6月19日